無窮の風 アーカイブ


H27・9・16
                             

 うだる暑さと、押し寄せてくるバイクと車。
 右を向いても左を見ても、バイクと車と人の大洪水。
 音や臭いや喧騒を撒き散らしながら我が物顔で静寂と風情を跳ね飛ばしてゆく。
 二人の旅人は、それらにもみくちゃにされながらハノイの街を朝から逍遥していた。
 疲れたなア・・・。少し休もうか・・・。
 うん・・・。
 あ! あのカフェは!
 よさそうだな・・・行こう!」
 狭くて暗い階段を登ると、椅子とテーブルが無造作に置かれた空間が現れた。路上から見かけた外のカウンター席へまっすぐ向かう。
 ふ〜。
 椅子に腰を下ろす。
 随分歩き回っていたので、足を伸ばして座った感覚が心地よい。
 眼下の景色が心を休ませてくれる。
 「ベトナムコーヒーはどろっとしていて美味いぞ」
 熱帯の風が過ぎる。
 僕は、ビールをあおる。
 え? コーヒーじゃないの? てなことは考えない。
 ふ〜。
 しばし外の風景を眺める。
 ビールが美味い。
 ようやくゆったりした時間が流れる。
 息子の飲む、ベトナムコーヒーの香りが漂う。
 二人とも、だまって風景を眺める。


《3月中旬から半月ほど大学生の息子とラオス・タイ・カンボジア・ベトナムとバックパッカーの旅をしてきた。その2話です》


H27・4・12                             

 乾季も終わりに近いカンボジアの遺跡をまわっていた。3月でも30度を越えるその暑さは、北回帰線を越えてきた旅人のペットボトル入りの水を、空っぽにするには十分な熱帯のもてなしであるかのように感じられた。
 ふ〜、暑いなア。
 ほどなく遺跡を巡り、ふと、わき道に目をやる。
 ハンモックだ!
 気持ちよさそに青年が揺れにまかせている。
 ん?
 カズラだ。
 垂れ下がったカズラをうまく利用してハンモックにしている。
 いいなア・・・・・。
 よく見ると、青年はスマホを扱っているではないか。
 地面には、黒いバッグが置かれている。
 まるでターザンがスマホを触りながら、そばで黒ヒョウがそれを見つめている錯覚に囚われた。
 熱帯の風が、ザワッと身体にまとわりつく。
 ぼ、僕は青年に気付かれないようにシャッターを押した。
 Be happy.
 君よ、幸せであれ。

《3月中旬から半月ほど大学生の息子とラオス・タイ・カンボジア・ベトナムとバックパッカーの旅をしてきた。又、暇な時に、次の話をします》


平成26・5・6
朝、電話がなった。なんだか懐かしいような、それでいて誰だか確信できないような・・・。
 「お! 俺だよオ! 俺・俺!」
 けっして弾んでない、落ち着いたその語り口調で、すぐに相手が誰だかわかった。
 「なんだよ! XXさんかよ! なつかしいなア〜。ご無沙汰しててわるいなあ。今、アメリカからだろう」
 「いや、俺、今、日本にいるんだよ。99歳のおふくろがアメリカの家まで会いに来たものだから、日本までおくってきたんだよ」
 「え! 99歳?」
 「そうだよ。来年100歳だけど。また来るといってるよ」
 「100歳! たいしたもんだなア〜。この母親ありて、この息子ありだな。すごいなあ、親子とも! 俺も来年は、アメリカまで会いに行くよ」」
 「ああ、運転免許証だけは持って来いよ」
 「OK OK じゃあな」
                     


H26年1月28日
                          


         陽だまりに真っ赤なバラが咲いている
         北風が吹き舞い 落ち葉はガサガサと隅に追いやられ
         人々は 背中を丸め まるで忘れ物をしたかのように
         小走りに歩き去ってゆく
         遠くでは いじけたような犬の鳴き声が冬空の彼方へと途切れる
         バラは 何もなかったかのように真っ赤な花びらで笑っている
          笑い顔は 花びら同士が押しくらまんじゅう
          日向ぼっこしながら 押しくらまんじゅう
          真っ赤な顔して 押しくらまんじゅう
          寒さなんかへっちゃらサ


H25年4月2日

お〜い 元気か〜い
まあまあだな〜アア〜

 



H24・10・19(金)
 9月の半ば、息子と二人でベトナム・カンボジア・タイの3ケ国を旅してきた。
 夏休み中の息子と違って、仕事をしている身ではなかなか長期の休みが取れないので、連休をからめた8日間という日程をどうにか調整することにした。リュックを背負って安宿に泊まり全行程をバス移動するには、せめてあと2・3日欲しいところだが、いたしかたがない。
 息子を旅に誘った理由の一つに、貧しさとか危うさというものがどういうものであるか、見せたかったからである。
 旅には不安が一つあった。
 ベトナム到着の翌日、さっそく6時間バス旅へ出発。車酔いの苦手意識を持っていたせがれにとって、緊張の乗車である。しかし、そんな不安も、車内での出来事や車窓からの景色に気を奪われることで無事に乗り切ることができた。
 その後のバス旅は、最初の移動が自信になったらしく、何の不安もなかったかのように楽しんでいたようである。これも旅の収穫の一つである
 旅は、驚きや笑いやハプニング、出会いや刺激を二人に与えながら、アンコールの遺跡群を歩き回り、国境を再び越え、そして、バス旅の果てにバンコクのカオサン通り(安宿街)に無事到着することができた。
 投宿したホテルの傍は生バンドのはいったレストランで、夕食後二階の部屋に帰ると、好きなレゲエのリズムが大ボリュームのままはいってくる。いつまでも鳴り止まないそのリズムを子守唄がわりに、いつのまにか二人とも爆睡してしまった。
 朝方、ふと目覚めると、静寂に包まれていた。あの喧騒は何処にいったのか? 不思議であった。
 旅の終わりに、息子が一言つぶやいたのが嬉しかった。
 「又、カンボジアには行きたい!」
                             
              



H24年2月3日(金)



  今朝は冷えました。屋外のメダカの水槽も氷が張っていました。この地ではこんなことはあまりありません。
メダカ君は大丈夫かな?
事務所に上がる階段そばの花々も、寒そうに寄り添って、日向ぼっこしていました。


H24(2012)正月
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願い致します



  太平洋を望む、水平線の向こうはアメリカ



H23(2011)7月20日(水)
1ケ月前のことだが、朝から実家の畑で伸び放題になっていた雑草を草刈機で刈っていると、突然、ぐにゃつとしたものが飛び上がってきた。お! びっくりして後ずさりすると、すぐにヘビだと気付いた。草むらに逃げようとする姿で、うわ〜マムシだあああ!!! 逃がしてしまうと、後で誰かが咬まれるので、すぐに回転してる刃で周りの草を払った。すると、体が半分ほど見えたので、この野郎とばかりにギャーンと刃先でやるとうまくヒットした。それでもマムシは必死で土の中にもぐろうとしている。再び刃をいれトドメをさした。エンジンを止め刃先にぶら下げ庭先に持ってゆき、コンクリートの上に置いた。まさしくマムシであった。携帯電話のカメラで撮影していると、すぐに大きなアリがその切り口に集まり始めている。すごいな〜これぞ弱肉強食(?)だな〜と感心してしまった。
 マムシをはじめ、毒蛇と僕は過去幾度となく遭遇の機会があった。もっとも危機一髪だったのは、若い頃アメリカ大陸を自転車で旅していた時のことである。バージニア州のとある町で、テントの張れそうな場所を探して川沿いの雑木林の中を自転車を押しながら進んでいた。そして、ようやく畳2畳ほどの草地をみつけた。目の前を川が流れ、真夏の風もいくらか涼しく感じられた。ふと空腹感をおぼえ、パンと水筒を取り出し、草むらの一角に腰を下ろした。しばらくすると短パンの左の尻下で動くものを感じた。なんだろうな? 枝でも踏んでその枝先が風に揺れているのだろうか? と気にもとめずムシャムシャ食べていると、やはり動く。???・・・ふと左尻下を見た。ウワあああ・・・蛇だあああ!!!  一瞬飛び上がっていた。なんと、黒と黄色の輪切り模様の蛇が草むらの中をゆっくりと逃げてゆくではないか。これはやばいぞ! と投げ捨てたパンと水筒を拾って一目散に対岸の公園に退散した。落ち着いて足などを見たが咬まれた様子もなかった。しかし、翌朝目覚めると、、左の尻は強くひっぱたかれたようにシビレが残っていた。蛇を敷いていた後ろポケット付近は洗濯ノリのようにカパカパになっていた。多分、飛びかかろうとしてドクロを巻いたところを尻で頭から押さえ込まれたような格好になり、蛇は必死に不恰好な姿勢で咬みつこうとしたのだが、尻ポケットのところは二重で硬く、牙も通らなかったのであろうと推測する。いずれにしても、ラッキーであった。
 長旅を終え日本に帰国後は山登りに興じた時もあった。その時も、2回ほどマムシに遭遇した。一回は石を投げつけたが、取り逃がしてしまった。あと一回はうまく仕留めることができた。その時は、僕が先頭を歩き、3番目の人が2番目の人の足元を抜けるマムシを見つけた。悲鳴と共に僕はすぐに棒切れを手に取り一撃で仕留めた。仕留めたマムシは棒に突き刺してそのままトレッキングを続けた。帰路その場にさしかかり棒を見上げると、既にいなくなっていた。山の生き物が美味しくいただいたのであろう。

 皆さん、マムシには気をつけましょう。僕からのアドバイスです。すぐに逃げる蛇は無毒です(100%ではないですが)。毒蛇は逃げません。マムシは、いそうな場所にやはりいます。そして、まさか? というような所にも何故かいます。草むらの中では、動かない限り見つけることができません。これからキャンプ等で自然の中にはいる機会もふえます。特に子供たちには十分注意をはらってあげましょう。



H23(2011)5月5日(木)
 長く雨の降らなかった県内に、先週から待望の雨が少しづつ降るようになってきた。本当に待ち望んでいた雨なので感謝である。昨日は義兄に、かぼちゃ、ブラックベリー、そして名前のわからない野菜の苗をいただき、昨年まで貸していた農地の一角に植え付けしてきた。先週土曜日にも、ゴーヤ、ピーマン、なす、かぼちゃ、を何の知識もなく無造作に植えつけたばかりなので、果たして収穫はどうなるものかと不安と期待が入り混じっている。 残りの土地も、ほっておくと大変なことになるので、苗屋さんのアドバイス通り、カライモ(さつまいも)でも植えようと思っている。しかし、結構な広さがあるので、中古の耕運機かトラクターを買わないと農作業が不可能に感じられるので、それまでは手が付けられないかと思案もしている。
 ところで突然ですが、台湾の皆様、この度の東北大震災への多大なる義援金、本当にありがとうございます。台湾国民一人あたりに換算すると世界で一番の額と聞いております。台湾の人々はいつも声高に言うことなく、それでいてその心の優しさには本当に涙が出る思いです。僕は、世界中で最も親日的なこの国の人々が大好きです。もし、この国の人々が困ることがあれば、必ず恩返しをしようと思っています。


H23(2011)年2月1日(火)
我が郷土宮崎は今ある意味で嵐の中です。全国の皆様の優しい心づかいと応援に一県民として深く感謝いたします。写真は1月27日(木)16:46に事務所の屋上から撮った新燃岳噴火の写真です。霧島連山は家並みの奥にあるのですが、普段、屋上から山の稜線は見えません。それほど遠くにある火山なので、高く吹き上がった火山灰を見ると噴火の大きさが伝わります。人類も自然の中では小さな生物であり、そのはかりしれないパワーにただただ圧倒されるばかりです。今朝の爆発音にも驚かされました。



H22(2010)年8月2日(月曜日)
 3月に更新してから随分と時間がたってしまった。ご存知の通り、春の訪れと共に宮崎県内で口蹄疫が発生し、戦慄的な状況になってしまった。その後、県内は畜産関係のみならず全ての業種に影響が及び、旅行業も同様で、零細な当方でも5月はキャンセルのオンパレードになってしまった。そうような状況下では、前向きな考え方が少しずつ減退し、仕舞いには虚脱感を感じるようになっていった。
 6月になり、応援してきた小惑星探査機《はやぶさ》が地球に帰還してきた。そしてサッカーワールドカップで、日本チームが決勝リーグへと勝ち進んでいった。この二つの出来事は、打ちひしがれた僕に希望と勇気を与えてくれた。
 
 口蹄疫も少しは落ち着いてきたこの頃、昨日、実家のある都農町へ生垣の剪定と墓参りに車を走らせた。往路は、宮崎市から高鍋町まで最近開通したばかりの区間も含めて東九州自動車道を利用した。対面交通が多く、快適とは言いがたい状況の道路を走りながら、よ〜うやく一部ではあるが宮崎県内も高速道路で移動できるところまできたのだな〜≠ニ思った。しかし、あまりにも着工が遅すぎた感じである。切実に要望していた時期に作らずに、勝手な理由で後回し後回しの事業となり、人口減少にになった今になって作り始めている。
 地方は都会と違って様々な公共交通機関が整備されてなく、車がなければ生活がなりたたないような社会の仕組みになっている。いや、ならざるをえなかった、というのが妥当であろう。一家に2・3台は普通である。その為、車関係の税金は一家あたり多くのものを支払っている。
 しかし、そのような理由でも、なかなか道路は作ってくれない。政治がらみもあるが、人口が少ないので総体的な納税額は? と言われると、言葉が出なくなる。でも、このことは言いたい。子供が生まれると、親はせっせと働いて子どもを育て上げる。だが、大人になった頃、働くところや学校も少ないので、子供達はやむなく都会へ出て行かざるをえない。言葉はわるいが、都会はいいとこ取りで即戦力の地方の若者を吸い上げている。つまり、これではますます負の連鎖となって地方は衰退することになる。それらの縮図の一つとして、宮崎には新幹線もないしJR鉄道も単線ときている。このようなアクセスの悪さでは、当然働く場所としての企業や工場は来てくれない。この格差は、都会と地方、その地方の中でも県都と郡部、郡部の中でも町中と山間部、マクロでは世界の中での日本、といったように、この世の万物が必然的に持たざるをえない相反する陰陽なので、このように話しながらも何処かで納得せざるをえなくなる。
 高速道路をおりると、川南町から故郷の都農町にはいった。沿道、見える光景は、畜産農家が点在し、石灰でおおわれた畜舎や敷地、そしてそこへつながる道が、白い風景を無言のまま灼熱の太陽の下さらしていた。それら、家畜が全くいなくなった無の世界は、無であればこそ、かえって阿鼻叫喚の世界が僕の五感に飛び込んでくるように感じられた。


H22(2010)年2月6日(土曜日)
 先日、南米ペルーのアンデス山中にある古代遺跡マチュピチュ地方をおそった大雨で、大勢の観光客が救出されるニュースが連日のようにテレビ等で報道されていた。
 このページの少し上にある蒸気機関車の写真が、マチュピチュの麓アグアカリエンテ駅で撮ったものである。もう30年以上前のことである。今では、観光客向けの豪華列車が走っているので、このような写真は骨董品ものだが、当時は、この古代遺跡に辿り着くまでの道具にしては、蒸気機関車でさえも人類が創りあげたハイテク機械に感じたものである。
 写真の背景をご覧になって気付かれると思いますが、まさにこの地はV字谷の底にある駅である。そばを流れるウルバンバ川が長い年月をかけて削ぎ落としてきた地形そのものである。この地から見上げる遺跡は、急峻にそびえたつ山の稜線の一部でしかなく、征服者ピサロ率いるスペイン人兵士達でさえも見つけることができなかった? という説もうなづける。
 アグアカリエンテという意味は、スペイン語でアグア(水)カリエンテ(熱い)です。つまりこの地は温泉が湧いていて、当時、村の隅っこに小さな露天の温泉があり、温泉につかり、ピスコ(ブドウから作られた蒸留酒)の小瓶を闇夜にまぎれて飲みながら、静寂なアンデスの星座を、遠い歴史の世界に思いをはせながら眺めたものである。


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